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井上勝の足跡を訪ねて(山口市小鯖編)

「井上勝の屋敷跡が山口市の下小鯖にある」という情報を入手した。

映画「長州ファイブ」により、井上勝に魅せられて以降、勝に関する、いろいろな情報に積極的にアクセスしてきたが、そんな話は初耳である。

職場の”勝オタク”とともに、さっそく追跡開始。

彼のネットワークを駆使し、文書館から、それらしい資料をゲットした。

しかし、山口市下小鯖の『藪ケ尻』説と、『芦谷』説の二つがあり、一体どちらが本当なのか分からない。

山口市役所の小鯖支所で詳しい話を聞いいてみると、どうやら『芦谷』説が有力らしい。

この地区では、平成12年頃つくった「まちづくりに向けた調査の報告書」中に、SLのイラストとともに「鉄道の父・井上勝公旧宅跡」という表示をしている。

この地区では、「井上勝公」はかなり知られた存在なのだ。

また、井上家の財産を譲り受けたとされる原田家も今もそこにあることが分かった。

何はさておき、『芦谷』へ。国道262号を曲がったところにある「小鯖地ビール」から、5分少々で、「井上屋敷」へ通じる道の分岐点に到着。左に曲がってまっすぐ進むが、道幅が狭くなり、ついには行き止まりに。Img_0843

車を止めて、近くで草引き中の女性に尋ねてみる。「うーん今は何もないと思う。昔は、『鎮守様』があったような気がするけど。よかったら行ってみますか?」言葉は少ないが、とても親切。が、おもむろに取り出した草刈り鎌2本。「そんなに荒れたとこなのか???」 我々は、恐る恐る後に従う。

何年か前、市の方で林道を整備し、現在は、立ち入り禁止にしているとか。確かに人が頻繁に入ったような形跡はなく、車の輪立ちがかろうじて残っているぐらい。通り道を覆う草Img_0837 を刈りながら前に進む。途中には、猪用のワナもあった。

話をしているうちに、この女性は、例の原田家の現在の当主「隆志氏」の母上であるということが分かった。昭和23年に原田家に嫁いだが、そのとき、すでに、目立った遺構はなかったように記憶しているとか。ただし、井上勝公の話はよく聞いていたとのこと。「ここからが井上屋敷の敷地」と原田さん。Img_0836

馬場もあったようで、かなり広大な土地であったことがうかがえる。やはり、鎮守様も残っておらず。ただ、菖蒲の花が咲いていた。これが、「棯畑史」にも書かれていた「萩かどこかから持ってきたノハナショウブ」か?Img_0840_2 主亡きあと150年もの間、毎年、ひっそりと咲き続けているのかも。やはり、藩庁からかなり離れたこの山奥に、なぜ、井上家があったのかは不思議である。

藩庁が山口に移されたとき、萩から多くの役人も移ってこなければならなかったが、急に多くの家屋敷が用意できるわけでもなく、桂小五郎や高杉晋作、伊藤博文などは「十朋亭」など民家を宿泊所としていたという。こうした当時の住宅事情のせいかもしれないが、井上家が、わざわざこの地に居を構えたのには何か別の理由があったのかもしれない。

翌日、原田家の現当主の隆志氏に電話。これまで、井上屋敷を訪ねて誰かが来たということはなかったと思う。井上勝に関するものは今は何も残っていないが、子供のころ、りっぱな「鞍」があったことを記憶しているとのことであった。

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