山尾庸三
山口県が開催している維新史出前講座を宇部の小野地区で受講した。
今回のテーマは、山尾庸三ゆかりの地で学ぶ「長州ファイブ」と明治維新で、講師は、一坂太郎さん(萩市特別学芸員)。
山尾庸三の父は山尾忠治郎であるが、その父、山尾市五郎(つまり山尾庸三の祖父)が、小野村生まれで、秋穂二島の塩田開発の際に、小野村を出たということだ。
市五郎は、毛利の寄組(家老に準ずる)である繁沢家の屋敷の管理をしていたが、人柄が認められ、繁沢家に召抱えられ、毛利家の陪臣(又家来)という身分になった。そして、その繁沢家との縁で、毛利家臣の高杉家とのつながりができ、山尾庸三と高杉晋作の親交も始まったらしい。
ちなみに、高杉家は武田信玄の武田家の系統であることを初めて知った。そういえば、家
紋が武田菱。毛利元就に攻められ討ち死にした安芸武田家の元繁の孫信実は、若狭国へ移ったが、その一族が備後国の高杉村(三次市高杉町)に住み、後に高杉姓を名乗り、広島城下に移って毛利家に仕えた。主君輝元が関ヶ原の合戦後、萩に移った際、高杉家もこれに従ったと言われる。
山尾庸三に関し、一坂太郎さんは次ようなエピソードを語ってくれた。
・・・山尾は、もともと「庸造」と表記していた。明治になってから、本人が「庸三」という字を使ったようで、自分は、あくまでも山尾家の三男という思いからではないか。それほど故郷に対する思いは強かった。現に、80歳で故郷に帰っている。・・・
・・・山尾が工部寮の建設を進言した際、政府では、「山尾が大工と左官の学校を創ろうと言ってうるさい」と言われていた。・・・
「長州ファイブたちは、イギリスの文明を目の当たりにして、日本が外国に侮られるのは、軍事力がないからではなく、文明がないからだと悟った。産業革命は、欧米では100年かかったが、日本では30年で成し遂げた。」 そんな一坂さんの言葉が印象に残った。
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