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小岩井農場の「井」は井上勝の「井」

東北地方に足を踏み入れたからには、井上勝ゆかりの「小岩井農場」の地を踏まずには帰れない。遊佐訪問の翌日の2月5日、岩手県の小岩井農場へ向かった。吹浦駅から秋田駅まで行き、そこから秋田新幹線で約1時間半で盛岡駅に到着。さらに車で30分程度の雫石に小岩井農場はある。

”雪が多くてたどり着けないんじゃないか””いやそもそも冬期は閉鎖しているんじゃないか”というガセネタに脅えながらも突撃。小岩井農場は「岩手雪まつり」のまっ最中で、かなり人がいた。メインスポットまきば園も、オフシーズンは入園無料である。

Iriguti標高2,038メートルの岩手県最高峰の岩手山をバックにした広大な銀世界は実に美しい。緑の草原と動物たちが戯れる春から夏の光景もきっとすばらしいに違いない。この地に農場をつくろうと考えた、井上勝の気持ちがよくわかった。が、やはり、少し寒い。

小岩井農場は、明治24年に、野義真(日本鉄道会社副社長)、崎彌之助(三菱社長)、そして、鉄道庁長官の上勝の三人の手で開設された。鉄道局長時代、視察に訪れた井上勝が、当時の県知事に「これまで鉄道開発のために田畑をつぶしてきた埋め合わせとして、この広大な荒地を開墾して農場をつくりたい」と打ち明けたことが発端となったという。まきば園のパンフレットには「開設者」の一人として井上勝も紹介されていた。

レンガサイロなど創業時の面影が残る上丸牛舎の一画に、展示資料館があった。この建Img_1353物は、明治39年建築の事務所を改築したもので、創業者の理想や百年Tennji_2以上のこの農場での生産の営みが紹介されている。もちろん「井上勝」の展示もあった。

少し離れた管理本部を訪れ、展示資料館の館長に話を聞く。館長の野沢さんは、TYS入江さん制作の「日本鉄道の父 井上勝の挑戦!」にも登場していた方。鉄道農場の開設は3人の手によるが、場主は井上勝だったそうだ。岩崎からは、年1万円、10年間出資を受けるという約束であったが、思っImg_1374 たような利益が出ず、8年で岩崎家に手渡したということだ。もっとも、岩崎家は出資金をどうこう言うつもりはなかったようだが、勝の実直な性格がそうさせたのだろう。

勝は耕作中心の経営を行っていたようだ。昭和32年に岩崎家の久彌が農場を継承してからは、酪農へと移したという。後で入手した情報だが、その実質的な運営を任されたのは、下総御料牧場長であった新山荘輔で、彼もまた山口県出身。小岩井農場と山口県のつながりは、かなり深いのだ。Img_1373

経営から手を引いた後も、勝は農場を何度も訪れている。明治41年に皇太子殿下をお迎えするために農場を訪れたという記録があり、これが最後の訪問だったのではないかと野沢館長。その年は、山口県にも来ており、2年後にロンドンで亡くなる前に、奇しくも思い出深い各地を訪れていたということか。

何か小さいことでもいいから、小岩井農場と山口県のタイアップができないものか。展示資料館では、4月から9月まで「百年前の小岩井農場」という企画展が開催されるようだし、そのタイミングで山口県からも何か発信できたらとも思う。

ちなみに、まきば園の売店には乳製品をはじめ、多彩な小岩井ブランドの品々があり、おみやげ探しも楽しみの一つとなった。広報部長ともども、たくさん買い込んだことは言うまでもない。山口県人として、岩崎家から勝が受けた御厚志へのささやかなお返しの意味も込めて。

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井上勝トピックス」カテゴリの記事

コメント

「SLやまぐち号大好き」さん、初コメントありがとうございます。
C571について、かなり詳しい方だとお見受けしました。”軸焼け”は軽症だったのでしょうか?
満70歳の古希を過ぎたC571は、いぶし銀のような存在感がありますよね。みんなで大切にしてあげて、いつまでも元気でいて欲しいと思っています。
これからも、「SLやまぐち号大好き」さんのとっておきの情報お待ちしています。

投稿: 編集長 | 2008年3月 1日 (土) 17時39分

初めてノムラン会さんのページに書き込みします。
いよいよ1ヵ月後は山口線にも暖かい煙が見えるでしょう。
C571の状況ですが、現在は、山口に帰るまでの下準備をしている最中。しかし、試運転実施終了後軸焼けが発生。この為試運転が再び再実施の予定

一部のファンがC571の事について掲示板等に書き込みし、批判しているファンがいる。

投稿: SLやまぐち号大好き | 2008年2月28日 (木) 22時50分

念願の小岩井農場への行脚お疲れさまでした。
盛岡は全国の県庁所在地では一番気温が低いとのことですが、大丈夫でしたでしょうか。
暖冬とはいえ、気温が連日マイナス10度が続いていると聞いています。
「勝」が農場の「主宰」として農場経営に取り組んでいたとの話は興味深く読ませていただきました。
牧場は井上の後の岩崎家関係者がはじめたとのくだりがありましたが、井上勝のパイオニア精神があればこそ、岩崎氏により牛乳、チーズ生産がはじまったことなのでしょう・・・。
やや値段は高いが高品質の小岩井乳製品に乾杯!


投稿: 会員番号「3」 | 2008年2月25日 (月) 23時30分

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